「主の賜う安らぎへの招き(マタイ㊾)」
更新日:2025.3.24
マタイによる福音書第11章25-30節
小林 克哉牧師
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(28節)神の子、救い主であるイエス・キリストは「わたしのもとに来なさい」と言われます。そう言ってくださる方がおられるのです。
ここで重荷とは、第一義的には律法の重荷でしょう。それが当時ファリサイ派や律法学者たちが人々に要求し、背負わせたものです。律法を守るとは、613の掟をまもることでした。しなくてはならないとの命令が248、してはならないとの命令が365、合わせて613の具体的な命令がありました。こうでなければならないし、こうしなければならないのです。そうでなければ合格ではないのです。それは人々の重荷となっていました。
わたしたちもこうでなければならない、こうしなければならないと、自らに課し、人に課すことがあるでしょう。また人の目や評価を気にして生きることがあります。そのように自らに律法を課し、疲れてしまうのです。キリスト者は安らぎを知っている者のことですが、時にキリスト者でありながら、自らにこうでなければならないと律法を課すことが起こるのです。
イエスさまは「休ませてあげよう。」(28節)「あなたがたは安らぎを得られる。」(29節)と言われます。安らぎとは、赤子がその全体重、全存在を父や母に全身の力を抜いて委ねきって抱きかかえられるときの姿をさすと言われます。わたしたちの全存在を任せきってしまうことができるお方がおられるのです。わたしたちのために十字架で死なれ、三日目にご復活され、今も生きておれるイエス・キリストです。
わたしたちには帰って来ることができるところがあります。礼拝です。ここで主と対面し、その御言葉を与えられ、聖餐によりその命を与えていただくのです。イエスさまは「わたしのもとに来なさい」と言われ、わたしたちをまことの安らぎへと招いていてくださるのです。アーメン
(2025年3月16日礼拝説教より)