札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「悔い改めない者を叱る愛(マタイ㊽) 」

更新日:2025.3.17

マタイによる福音書 第11章20-24節

小林克哉 牧師

イエスさまは、イエスさまの御言葉を聞き、その御業を見ても、悔い改めず、神に立ち返ろうとしない人々に対し、お叱りになられます。「それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。」(20節)
もしその人に関心がなければ叱りません。無視しておけばいいのです。もし見捨てているのなら、その人に何も言わないのです。イエスさまは悔い改めない者たちを深く憐れんでおられるのです。「心貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。」(第5章3節)と言われたお方が、今度は「お前は不幸だ」(21節)と言われます。
コラジンの町やベトサイダの町は自分たちが不幸だと思っていたでしょうか。別にうまくやっているし、幸せだと思っていたかもしれません。しかしイエスさまはあなたがたの今の本当の姿は不幸なのだと言われるのです。自分のことが見えていない者に本当のことを教えてくださるのです。これは裁きの言葉であるとも言えるでしょう。しかしその裁きは、主の深き憐れみと愛から出ているのです。
最近は叱られなくなりました。すぐ「ハラスメントだ」と言われないか心配だからでしょうか。叱らないのは結局自分のため、叱れば逆恨みされるかもしれない、却って嫌な目に遭うかもしれないからです。たとえ正しくても傷つくことになるのです。
イエスさまは叱られるのです。黙っていればこのまま陰府にまで落とされてしまう、神の裁きを受け滅びてしまうことになるのです。「悔い改めよ、天の国は近づいた」(第4章17節)。イエスさまは悔い改めようとしない者たちのために叱られます。
イエスさまはご自分がかえって傷つくことになることをわかった上で叱ってくださるのです。いやそれどころではないのです。悔い改めないこの人々のためにも十字架へと向かわれるのです。その裁きを身代わり十字架で引き受けてくださるのです。
十字架のイエス・キリストが、その愛と憐れみをもってわたしたちを叱ってくださいます。それを拒みイエスさまを傷つけ続けるのでしょうか。その愛と憐れみを知ったなら、わたしたちはどうして悔い改めずにいられるでしょう。アーメン

(2025年3月9日礼拝説教より)

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