札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「この世に遣わされているわたしたち」

更新日:2024.11.25

ヨハネによる福音書第17章6-9節

麻生教会 上森俊明 牧師

主イエスは十字架に就かれる前に、弟子たちのために祈っておられます。後に、弟子たちは、主イエスの十字架、主の十字架の死を嘆き悲しむことになるのですが、その弟子たちを「悪い者から守ってください」と、主は弟子たちのために執りなしの祈りをささげておられます。
主イエスがこの祈りによって見通されていることは、ご自身の十字架の死が絶望ではなく、弟子たちの喜びになることでした。神の民が御子の十字架の死と復活によって、人の罪が贖われることをイエス様はご存じでした。聖霊によって導かれるわたしたちは、この主の祈りのもとに生かされています。御言葉によって神から遣わされた御子を信じ、その救いを受け入れるものとなっているのです。
『わたしは彼らによって栄光を受けました。』(10節)と、主イエスは祈ってくださいます。何という光栄でありましょうか。主を信じて、御言葉を聞いて祈り、生活をするわたしたちによって、主が栄光を受けておられるというのです。そして、『聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。』(11節)と、主にあってひとつとなっている教会を導かれる主の姿がここにあるのです。
主によって神の民とされたわたしたちの歩みは、『わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。』(18節)と、主イエスの歩みと重ねられます。御子が神から遣わされたように、わたしたちもまた主イエスに遣わされて、主イエスがご自身をささげて十字架に架かり栄光をお受けになったように、主の民とされたわたしたちも、御言葉によってこの身をささげて、栄光を受けるのです。
こうして、この世に遣わされているわたしたちは、『真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。』(17節)という主イエスの祈りによって聖なる者とされている。わたしたちは、主の愛に応えて、その愛に心を動かされて、『国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。 アーメン』という祈りをささげて、この世に神の栄光を現し、主イエス・キリストの福音を宣べ伝えるのです。アーメン

(2024年11月17日礼拝説教より)

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