「信仰の告白の上に教会は建つ(マタイ㉝)」
更新日:2024.10.22
マタイによる福音書 第16章13-20節
小林克哉牧師
今日は幼児祝福式合同礼拝です。子どもたちに神さまの祝福を手渡したいとの祈りのうちに礼拝をささげています。先ほど小さな子どもが親に抱っこされて礼拝堂に入ってきました。子どもは自分の足で立っているのではありません。親が足下から支えているから確かなのです。たとえ子どもが体をくねくねさせて不安になっても、しっかりと足下から抱きかかえられているなら倒れないのです。
「シモン・ペトロが、『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた。・・・・イエスはお答えになった。『・・・・あなたはペトロ。わたしはこの岩の上に教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。』」(16-19節)イエスさまが救い主=メシア、イエスさまが救ってくださる。イエスさまが生ける神、わたしたちを天の国に入れてくださる。この信仰、この信仰の告白の上にイエス・キリストの教会は建っているのです。〝わたしが〟でなく〝神が〟です。
教会が確かなのはイエスさまが土台だからなのです。イエスさまが足下から支えていてくださるからなのです。たとえ試練の嵐が襲ってきても、誘惑の波にさらわれそうになっても、イエスさまが足下から支えていてくださるなら大丈夫なのです。その信仰、その信仰の告白の上に教会は建てられているのです。
そしてこの信仰、この信仰の告白により、教会に天の国の「かぎ」が与えられているのです。わたしたちはこの「かぎ」を与えられているのです。いくらでもコピーし、いくらでも渡していいのです。この「かぎ」を子どもたちに渡していきたいのです。イエスさまを信じなさい。イエスさまがあなたを救ってくださる。何があっても大丈夫。イエスさまがあなたを足下から支えてくださっているから。
神さまの救いとその祝福が子どもたちの上に豊かに与えられますようにと祈りましょう。アーメン
(2024年10月13日礼拝説教より)