札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「わたしたちのなすべき礼拝」

更新日:2024.9.30

ローマの信徒への手紙 第12章1ー8節

朴 美愛牧師

クリスチャンの生活の中心、核になるのは『礼拝』であります。「こういうわけで」から始まる聖書箇所は『わたしたちのなすべき礼拝』を知らせます。礼拝は、「人は皆、罪を犯して~、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされた者」(第3章23~24節)の神に対する感謝と喜びであります。
パウロはその喜びの知らせ、『福音』がいかに人を変えるか、変えられた人はどのように生きるべきかを知らせました。信徒たちに「兄弟たち」と呼び、神の家族になった親密感を表し、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」と、勧め(命令と懇請)ます。自分の体を生けるいけにえとして献げることは何でしょうか。この『体』は体と心の全人格を意味し、『いけにえ』とは、犠牲、無くす、死ぬ。即ち、自分の意志、考え、欲望などを無くすことです。そして、礼拝によって心が新たにされ、神のみ心に従って生きることであります。
パウロの「なすべき礼拝」は原文では、『ロゴスに基づいた礼拝』で、ロゴスは言葉、理性、真理などの意味で、当時の迷信的犠牲祭儀に対して、理性・真理に基づく礼拝を意味します。『霊的な礼拝』(ヨハネ第4章23節)とも訳します。私たちは礼拝から耳で聞く『語られる言葉』と心で聞く『語られない言葉』を共に受け止めて恵みと力を頂くのです。
何より礼拝共同体としての教会は、多くの部分が繋がっている一つのキリストの体であります。そして、神の恵みよってわたしたちは異なる賜物が与えられています(6~8節)。それは、教会と社会で神と人に仕えるためであります。私たちが礼拝を通して頂く感謝と喜びを派遣される生活の現場で分かち合うことこそ、『私たちのなすべき礼拝』なのです。今日も、わたしたちは新たな恵みと力を頂くために教会での礼拝をささげて、それぞれの所へと派遣されるのです。礼拝者おひとり一人の新しい一週間の歩みが福音の証人として恵みの中で導かれますように。アーメン

(2024年9月22日礼拝説教より)

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