「神の恵みを分かち合う教会」
更新日:2024.6.24
使徒言行録 第11章19-30節
酪農学園宗教主事 朴 美愛牧師
主を信じる人が増えて、恐れを感じていたユダヤの権力者たちの信徒に対する迫害はステファノの殉教事件をきっかけに激しくなりました。キリスト教の歴史上に迫害がなかった時はありません。しかし、迫害の時にも神の恵みはあります。ステファノの殺害に賛成した教会の迫害者サウロが復活の主イエスに出会い、伝道者になっていくのです。
迫害のために多くの信徒たちはエルサレムを離れ、アンティオキアまで散らされました。アンティオキアは当時、世界第三の政治、経済、文化の中心地で、国際的な都市でありました。散らされた信徒たちは民族を超えて異邦人にも福音を告げ知らせたのです。すると、「主がこの人たちを助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数が多かった。」(21節)アンティオキアでも教会が生まれたのです。
すると、エルサレム教会は人格的にも、信仰的にも信頼されているバルナバをアンティオキアへ派遣しました。彼は協力者としてパウロを捜し一緒に働くと、多くの人が主へと導かれました。「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるように」(26節)なりました。
「キリスト者」とは『イエス』を『救い主、キリスト』として従う者の信仰告白的な呼び名であります。使徒たちは、『キリストの十字架の贖いによって、私たちの罪が赦された。悔い改めて、キリストを信じなさい』と、常に口にして福音を伝えたから「キリスト者」と、呼ばれたでしょう。彼らは口だけではなく、大飢饉が起きた時にはユダヤに住む信徒たちのために援助品を送りました。私たちはどの意味で「キリスト者」と呼ばれているでしょうか。
その後、「神の恵みを分かち合う」アンティオキア教会は指導者を中心に互いに協力し合って、パウロの第3回にわたる宣教旅行、地中海世界への宣教の拠点になりました。私たち一人ひとりが、教会が『神の恵みを分かち合う』福音宣教を続けますように祈り願います。
(2024年6月16日礼拝説教より)