「怒りを捨てて」
更新日:2024.4.15
マタイによる福音書 第5章21-26節
小林克哉牧師
イエスさまは言われます。「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。」(21節)殺してはならないのです。人を殺せば、裁きを受けるからです。当時であれば死刑の判決が下されました。
「しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」(22節)主によって共に生きるようにされている者に腹を立て、怒る者も同様だと言われるのです。神の目から見たなら殺人なのだと。そうであるなら誰が神の裁きを免れることができるでしょうか。
イエスさまは律法を完成するお方として「殺してはならない」を徹底した仕方で教えられるのです。思いにおいても「腹を立てるな(怒るな)」、言葉においても「兄弟に『ばか』『愚か者』と言うな」。律法とは心を尽くして神を愛し、隣人を自分のように愛することです。だから更に「仲直りをしなさい」「和解しなさい」と教えられるのです。
イエスさまは律法を完成されるお方として「殺すな」を全うされます。イエスさまは隣人を愛し殺さないのです。それどころか身代わりとなって殺されるのです。わたしたちが支払わなければならない最後の一クァドランスまで、十字架で支払ってくださったのです。イエスさまはわたしたちを裁き殺すのでなく、兄弟として愛し生かそうとしてくださるのです。
イエスさまはわたしの罪のために十字架で死んでくださいました。わたしの罪が、わたしがイエスさまを十字架で殺したのです。その罪に本当に気づくならどうなるのでしょうか。わたしの罪を赦し和解を与えるために十字架で殺されたその愛に心溶かされるなら、わたしたちも和解に生きたいと願う者に変えていただけるのではないでしょうか。
誰もこの命令を完全な仕方で守ることはできません。それでも、イエス・キリストが生き抜いてくださった「殺してはならない」という命令に、わたしたちもまた生きようとするのです。アーメン
(2024年4月7日礼拝説教より)