「何に従うかがわかるなら(マタイ⑧)」
更新日:2024.3.5
マタイによる福音書 第4章17-21節
小林克哉牧師
イエス・キリストは「わたしについて来なさい」(19節)と言われます。最初に言われたのはガリラヤ湖の漁師シモン・ペトロとアンデレの兄弟でした。続いてゼベダイの子ヤコブとヨハネが声をかけられました。それ以来何千何万、何億何十億、いやもっと多くの人が声をかけられてきたのです。そしてイエス・キリストに従い、全く新しい命に変えられて来たのでした。
イエスさまに「わたしについて来なさい」と言われ、網を捨て、舟と父を残して従ったと言うのです。網も舟も、生計を立てる仕事に欠かすことのできないものです。それまで、それなしには生きていけないと思っていたものです。父とは、わたしが誰であるか何者なのかを教えてくれる存在です。それまで「ゼベダイの子」であるというアイデンティティーによって生きていたのです。ところが、イエスさまと出会い、イエスさまに声をかけられ、網を捨て、舟と父を残し、イエスさまに従ったのでした。
イエスさまは「悔い改めよ。天の国は近づいた」(17節)と言って、御国の福音を宣べ伝え始められました。天の国、神の愛と恵みのご支配がイエス・キリストによってやって来た。だから神へと向きを変え、神に立ち帰る時である。だから「悔い改めよ」と呼びかけられたのです。
この「悔い改めよ」との呼びかけは、ペトロたちには「わたしについて来なさい」という呼びかけとしてなされたのです。ペトロたちにとって神に立ち帰り、神の方へと向きを変え、悔い改めるとは、イエス・キリストに従って行くこと以外ではなかったのです。それは新しい命に生きることでした。「人間をとる漁師」とされたのです。イエス・キリストの弟子と呼ばれるようになったのです。キリスト者(キリストのもの)という名に変えられたのです。
イエスさまについて行く弟子たちは、やがてイエスさまが十字架で死なれるのを見ることになります。十字架のイエス・キリストはわたしたちの罪を赦し、死から救い、永遠の天の国の世嗣、神の子としてくださるお方です。迷う必要はもうありません。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(19節)。このお方についていけばいいのです。アーメン
(2024年2月25日礼拝説教より)