札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「人間の歴史の中に来られた主(マタイ①)」

更新日:2024.1.15

マタイによる福音書 第1章1-17節

小林克哉牧師

マタイによる福音書は系図から始まります。「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。」(1節)系図には有名な人の名前が出てきますが、「この人誰?」と言う人も多く出てきます。名も知られぬ人たちの現実の只中にイエス・キリストは来てくださったのです。
また戦争の中を生きた人々の名前、飢饉や災害を経験した人、夫の死、わが子の死を経験した人が出てきます。この歴史の現実に、苦難を共に担う方、いや苦難を担ってくださるお方としてイエス・キリストは来られたのです。
王たちの名前が出てきます。その殆どが神の預言者に聞き従わず、偶像礼拝を行い、神に立ち帰らなかった人たちです。罪の歴史、罪人たちの歴史の現実に、その罪を担うお方としてイエス・キリストは来てくださったのです。
女性の名前が出て来ます。当時の系図としては当たり前ではないのです。またタマルはアラム人、ラハブはカナンの町エリコの住人、ルツはモアブ人、ウリヤの妻とありますが、ウリヤはヘト人、つまり異邦人です。元々は聖書が証しする唯一真の神を信じない者たちです。神を信じる者、神を信じない者、そのすべての現実の中にイエス・キリストは来てくださったのです。
わたしたちが生きているこの世界は、系図の中に記されている人たちと同じ現実です。戦争があり、飢餓があり、災害があり、悲しみと嘆きがあり、罪があります。いったい今この世界に神を求めている人がどれほどいるというのでしょうか。そんな世界を神は見捨てられるのでしょうか。たとえわたしたちの信仰がなくても、誰も神に期待せず求めていなかったとしても、神はこの歴史の只中に来てくださったし、来てくださっているとマタイは宣言します。
主の年2024年を迎えました。真の神が真の人となって来てくださり、わたしたちのために十字架で肉を裂き血を流し贖いの死を遂げてくださったのです。そして三日目にご復活し今も生きておられます。キリストは来てくださいます。あなたの人生に介入し、この群れに来てくださり、生きて働きその御業をなしてくださるのです。アーメン

(2024年1月7日礼拝説教より)

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