「目を覚まし残りの者を強めよ(黙示録・七つの教会への手紙⑤)」
更新日:2023.11.13
ヨハネの黙示録第3章1-6節
小林克哉牧師
今朝の御言葉は生きているようでいながら死んでいることがあると言うのです。信仰のことです。キリスト者とは、神を信じ、イエス・キリストを信じ、その命に満たされ信仰に生きる者です。しかし死んでいる。死んでいるのですから、自力で生き返ることはできませんし、死んでいることにも気づきません。ただイエス・キリストが語りかけてくださる時、死んでいる者が死んでいることに気づき、そして息を吹き返すのです。
死の力を破りご復活され、天におられるイエス・キリストが伝道者ヨハネを通してサルディスの教会に語りかけられます。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。目を覚ませ。死にかけている残りの者たちを強めよ。」(1-2節)
信仰は死んでいるが、残りの者がいる。一人一人においては、信仰が死んでいるようでも、なお残っているものがある、ということでしょう。キリストが与えてくださったものが、その人のうちに残っているのです。「だから、どのように受け、また聞いたかを思い起こして、それを守り抜き、かつ悔い改めよ。」(3節)悔い改めるとは神へと立ち帰ることです。受けたこと、聞いたこと、福音の御言葉に立ち戻ることです。神が一方的な恵みにより救ってくださったことへ立ち帰るのです。それを守り抜けというのです。
サルディス教会は礼拝をし、そこそこ集まり、それなりの交わりをなし、求道者もいたかもしれません。しかし「死んでいる」と言われるのです。キリストの目から見てどのような姿に見えるかが語られています。厳しい御言葉ですが、キリストはわたしたちを生き返らせるためにはっきりとお示しになられるのです。キリストが与えてくださった信仰、恵み、御言葉はなくならない。残りのものがある。悔い改めて信仰の原点に立ち帰ればいいと。死を打ち破りご復活されたイエス・キリストが、わたしたちが死んでいても生き返らせてくださるのです。信頼して歩んでいきましょう。アーメン
(2023年11月5日礼拝説教より)