「神は愛なり(1ヨハネ9)」
更新日:2023.8.21
ヨハネの手紙一 第4章13-21節
小林克哉牧師
わたしたちが「神は愛です」と本当に語ることができるなら、人生の景色は変わります。喜びの日に「神は愛です」と言え、悲しみの日にも「神は愛です」と語ることができる。それは神の愛を知ることによります。イエス・キリストの十字架で示された愛、わたしたちのために命を捨ててくださった神の愛です。「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」(16節)
イエスさまは弟子たちの内にとどまり伝道の旅をなさいました。ある日、一行はサマリア人たちの町で歓迎されませんでした。弟子たちは、このような町は天から火を降らせ滅ぼされるべきだと言いました。しかしイエスさまが弟子たちを戒められました。イエスさまが弟子たちの内にとどまっていてくださらなかったなら、弟子たちは正しい道に立ち帰ることができなかったでしょう。
わたしたちの信仰生活は、時に傷つき、時に迷い、時に過ちを犯してしまうものです。しかし神がとどまっていてくださるのです。愛がとどまっていてくれるのです。わたしたちはそこでいやされ、そこから立ち上がっていくことができるのです。だからどんな時にも、疑いの波が寄せ、迷いの嵐の中に身を置くときにも、この愛にとどまるのです。神の愛を信じるのです。神はわたしたちの内にとどまり、わたしたちを守り導いてくださいます。
わたしたちの礼拝堂正面の上に「神是愛」と刻まれています。そのようにして、戦時中も、コロナ禍でも、「神は愛なり」との御言葉がわたしたちの群れにとどまっていました。教会が混乱し分裂を経験するような時にも、この御言葉がとどまっていたのです。時に兄弟姉妹への憎しみに襲われても、「神は愛なり」と告白することができるとき、景色は一変します。
神が、愛が、わたしたちの内にとどまっていてくださるのです。だから、わたしたちは今日も「神は愛なり」と告白し、伝道の歩みを続けていくのです。アーメン
(2023年8月13日礼拝説教より)