「神はわたしたちの心よりも大きく(1ヨハネ6)」
更新日:2023.7.31
ヨハネの手紙一 第3章19-24節
小林克哉牧師
イエスさまは最後の晩餐の席でご自分の受難を予告されました。ペトロはたとえ一緒に牢に入れられ、殺されることになっても、イエスさまについて行きますと言います。イエスさまは弟子たちの裏切り、離反を予告されます。ペトロには「はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」(ヨハネ福音書第13章38節)と言われます。
実際、ゲツセマネの園でイエスさまが逮捕されると弟子たちは逃げました。大祭司邸の中庭まで忍び込んだペトロも、イエスさまの仲間ではないかと問われると、三度もイエスさまのことを否んだのでした。ペトロの離反は知られていたのです。罪も、欠けも、弱さもみな知られていたのです。ヨハネは言います。「神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。」(20節)
ヨハネの教会の人々も、そしてわたしたちも知られているのです。イエスさまは十字架で贖いの死を遂げてくださいました。神が赦すと言ってくださるのです。だから罪を告白することができるのです。十字架により、信じる者の罪は赦されるのです。洗礼により罪の赦しを確かに与えられるのです。神は御子イエス・キリストによりご自身を示されました。わたしたちのために十字架で命を捨ててくださった神は愛です。このお方が、神がわたしたちを知っておられるのです。
ヨハネは「その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、このお方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。」(23節)と言います。イエスさまを信じるのです。このことが先です。イエスさまを信じる。そこから互いに愛し合うのです。この順序は逆転することはできないものです。イエスさまは罪があることも、すべてを知って愛し、十字架の犠牲により罪赦してくださるのです。このイエスさまを信じるから、互いに愛し合うのです。相手が完全でないことを知った上で、互いに愛し合うのです。それは神の愛と力による以外できないことであり、聖霊なる神がわたしたちの内にあって、わたしたちがイエスさまを信じ、互いに愛し合うようにしてくださることなのです。アーメン
(2023年7月23日礼拝説教より)