「惑わされないために、心にとどめよ(1ヨハネ3)」
更新日:2023.7.10
ヨハネの手紙一 第2章18-29節
小林克哉牧師
ヨハネの教会は混乱と分裂を経験していたようです。ディオトレフェスという人が教会の中で指導者・リーダーになりたがったようです。共に洗礼の恵みを与えられ、共に聖餐にあずかっていました。教会の中には当然ディオトレフェスと親しくしていた人があったでしょうし、彼を信頼していた人もいたでしょう。恐らくディオトレフェスは教会の指導者への批判を始めたのです。具体的なことは分かりませんが、はじめは揚げ足を取るようなことからだったのかもしれません。
次第に教会の指導者たちの教えについて批判をしたようです。注意して聞いてみると、イエスさまがメシア、救い主キリストであることを否定するような言動がそこにあったのでした。「惑わせようとしている者」(26節)と出てきます。イエス・キリストを信じ、洗礼を受け、聖霊の油を注がれ、信仰を告白する者とされ、すでにキリスト者になった者を惑わすものがあると言うのです。
ヨハネは警告を発するのです。「子どもたちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。」(18節)「反キリスト」(アンチクリストス)は「キリストに代わるもの」と訳してもかまわない語です。御子イエス・キリストではなく別のものを救い主とする。それが終わりの日の姿だと言うのです。真の救い主、真の神、真の信仰からわたしたちを引き離そうと、惑わすものがあるのです。
「注がれた油」(27節)とありますが、聖霊が与えられていることです。洗礼において聖霊が与えられていることをわたしたちは知っています。洗礼を受ける時、わたしたちは自分が神の御前で罪人であることを告白し、イエスさまが救い主キリストであると信仰を告白し、罪の赦しの洗礼を受け、キリストの内に入れられ、義とされ神の子とされます。信仰を告白するとは、教会が信じてきた信仰をわたしの告白とすることです。聖霊の導きの中で、代々のキリスト者たちが告白してきた告白に連なり信仰を告白するのです。時代が変わっても変わらない確かな信仰に連なることが大切なのです。
(2023年7月2日礼拝説教より)