「主への愛に招かれて(ヨハネ61)」
更新日:2023.5.22
ヨハネによる福音書第21章15-19節
小林克哉 牧師
イエスさまはペトロに「わたしを愛しているか」(15節)と尋ねられました。それは一度では終わりませんでした。二度問われ、そして三度目にも同じように問われました。「ペトロは、イエスが三度目も、『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった。」(17節)
ペトロは悲しくなりました。イエスさまが三度も尋ねられる理由に気づいたのではないでしょうか。大祭司の庭で、人々に「あなたもイエスの仲間だろう」と尋ねられると、ペトロは「違う」と三度も否んだのです。同じ三度、イエスさまは尋ねてくださったのです。
イエスさまは何度でも「わたしを愛しているか」と尋ねてくださいます。何度も何度もイエスさまを悲しませる歩みをしてしまう者に対し諦めることなく、「わたしを愛しているか」と尋ねてくださるのです。三度のみならず、四度だったら四度、十回だったら十回、千回だったら千回、イエスさまは尋ねてくださるのです。そうして礼拝の度に、御言葉により、聖餐にあずかり、わたしたちは罪の赦しを受け取るのです。
ペトロは主が確かに愛していてくださることへの信頼、信仰を与えられ答えます。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたは知っておられます。」(17節)裏切ったことも隠されていません。罪を繰り返す惨めさも隠れていません。イエスさまはご存じです。でもイエスさまを愛しているのです。裏切るし、背くし、罪を犯すけれども、イエスさまを愛しているのは嘘ではないのです。人から見れば、あなたのどこがイエスさまを愛しているのかと言われるかもしれません。しかしイエスさまはご存じなのです。わたしのこの小さな愛を、イエスさまに従いきれなかった者の小さな愛を、しかしイエスさまはご存じなのです。
イエスさまはペトロにご自身の尊い血潮で贖った羊の群れを養えと言われるのです。「わたしの小羊を飼いなさい。」(15節)何という信頼の言葉でしょうか。わたしたちは互いに養い合う相互牧会へと招かれているのです。アーメン
(2023年5月14日礼拝説教より)