「信じる者になりなさい(ヨハネ59)」
更新日:2023.5.1
ヨハネによる福音書第20章24~31節
小林克哉 牧師
弟子たちはトマスに「わたしたちは主を見ました」(25節)と証言しました。トマスはすぐに信じることはできませんでした。信じる自分と信じない自分、信じたい自分をかかえたまま、トマスは信じる者たちの群れに留まりました。トマスは教会の中で信じる者に変えられていったのです。「八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」(26節)
イエスさまはトマス目掛けてやって来られたのです。疑い深いトマス、信じたいけど信じられないトマス、信じないと言ってしまったトマス、十一人の弟子の中で一番信仰が弱かったトマスのところに来られたのです。「それから、トマスに言われた。『あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばして、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。』」(27節)
イエスさまは十字架の御傷を示され、トマスはそれを見たのです。このわたしの罪のために、イエスさまの尊い手が傷つき、お体が傷ついていたこと、イエスさまが十字架で死んでくださったことが示されたのです。十字架のイエスさまと出会ったトマスは、自分の手で確かめようとして触ることはしませんでした。ただ語りかけてくださるご復活の主イエスさまを信じたのです。「トマスは答えて、『わたしの主、わたしの神よ』と言った。」(28節)
ああ今、わたしたちの目にイエスさまのお姿が見えるなら。肉眼では見えなくても、信仰の眼を開くなら見えるはずです。今、ここにおられるお方の手に釘の傷跡、わき腹に槍の跡があるのを。終わりの日、天の御国でイエスさまと顔と顔を合わせてお会いする時、わたしたちははっきり見るでしょう。その手のひらに釘の跡を、その足に十字架の傷を、そのわき腹に槍の跡を、その目に愛のまなざしを。その時、わたしたちはただひれ伏し「わたしの主、わたしの神よ」と告白する以外何ができるでしょうか。その出来事が日曜日の礼拝において起こっているのです。
(2023年4月23日礼拝説教より)