「復活の主が遣わしてくださる(ヨハネ58)」
更新日:2023.4.24
ヨハネによる福音書第20章19~23節
小林克哉 牧師
聖書は「弟子たちはユダヤ人を恐れて」(19節)いたと言います。イースターの喜びのメッセージよりユダヤ人への恐れの方が大きかったのです。逮捕され殺されるかもしれない。社会から排斥され生活がままならなくなるかもしれない。弟子たちの真ん中には恐れが立っていました。わたしたちの真ん中には何が立っているでしょうか。
礼拝に来るまでは、もしかすると一週の旅路を歩む中で、わたしたちの真ん中に恐れや不安、自負や高慢、人間関係や健康問題が陣取っていたかもしれません。しかしわたしたちは礼拝にやって来ました。「そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」(19節)あの日、弟子たちの真ん中に立たれた復活の主イエスさまは、今朝わたしたちのところにも来てくださり、わたしたちの真ん中に立ってくださるのです。
イエスさまは、他のものが陣取り立っていたそこはわたしの場所だと来てくださるのです。そして「わたしが真ん中に立とう」と言ってくださるのです。それが礼拝に来てわたしたちが経験していることです。わたしたちの人生の中心に生けるご復活の主イエス・キリストが立ってくださり、立っていてくださるのです。
「イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。』」(21-22節)ご復活のイエスさまは命の息、聖霊を与え、弟子たちを新しく創造されます。罪人が罪赦された者に造り変えられることによって、世に遣わされていくのです。
イエスさまが遣わされたのは、イエスさまを裏切り、離反し、見捨てて逃げた弟子たちです。そのような者が聖霊の息吹により新しくされ、罪赦された者として遣わされていくのです。罪赦された罪人だから、神に背く罪人のもとに遣わされ、イエス・キリストの十字架によりあなたの罪も赦されると宣べ伝えることができるのです。わたしたちも家族や友人、この町に住む人たちのもとに、罪の赦し、神の平和を伝えることができるのです。アーメン
(2023年4月16日礼拝説教より)