「十字架を目撃した者が証しする(ヨハネ54)」
更新日:2023.3.27
ヨハネによる福音書第19章31-37節
小林克哉 牧師
ヨハネ福音書はこれまでイエスさまの姿を語ってきました。カナの婚礼で水をぶどう酒に変え、38年間も病気で苦しみベドザダの池のほとりで横たわっていた人を癒やされ、二匹の魚と五つのパンで五千人の人々の飢えを満たし、嵐の中でこぎ悩む弟子たちを湖の上を歩いて助け出し、生まれつきの盲人を見えるようにし、死んだラザロを生き返らされた方。わたしたちはこのイエスさまがなさる奇跡と愛の業、その言葉と祈りに感動し、救い主だと信じてきたのではないでしょうか。
ところが今、わたしたちが仰ぎ見るのは、既に死んでおられるイエス・キリストです。もう一言も語らず、力ある業もなされない方です。ヨハネが証しするのはこのお方です。「イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。」(33-35節)
死んでおられたイエスさまから血と水が流れ出たとあります。ヨハネ福音書や手紙、黙示録によれば、血は人を罪から清め、その人に命を与えるものであり、聖餐を想起させるものです。水は人を新しく生まれさせ、人を生かし、しかも永遠の命に生かすものであり、洗礼を想起させるものです。イエスさまの血と水、それは聖霊により命が与えられることを示しています。
十字架のイエス・キリストから命が注がれ、聖霊が与えられるのです。既に死んでおられるイエス・キリストによってです。イエスさまに従って来ていた者たちは、十字架の死を見て、もうこれでおしまいだと思ったでしょう。しかしこのお方により救われるのです。今やもう力ある業や奇跡を行うこともできない、説教することも祈ることもない、息をしておられない、既に死んでおられるイエス・キリストにより、血と水が流れ出て、罪赦され、永遠の命が与えられるのです。洗礼により、聖餐によって示される救いの恵みが与えられるのです。このお方により聖霊が注がれ神の子として生まれるのです。このお方の死がわたしたちを生かすのです。アーメン
(2023年3月19日礼拝説教より)