「すべての人と平和に」
更新日:2022.10.24
ローマの信徒への手紙 第12章9-21節
酪農学園宗教主事 朴 美愛牧師
世の中はコロナ事態が緩和され一安心するなと思ったら、ロシアの侵攻によるウクライナ事態や北朝鮮の相次ぐ、ミサイル発射などで人々を脅かしている。世の中はこのようですが、私たちはいかに過ごしているのか。
9~13節は、信仰によって義とされたキリスト者が一つの体として、教会内における「兄弟愛」の勧めが記されている。「偽りのない愛」で互いに愛し、仕えることである。「偽りのない愛」とは見せかけではなく、自己中心ではなく、他人に対する純粋な心から始まる「愛」で『神の愛』を知らないと、『イエス・キリストによる愛』を知らないと、分からないのである。
14~21節は教会外、社会におけるキリスト者の生き方としての勧めである。キリスト者の生活は何よりも教会の生活が特徴であることは間違いない。しかし、この世においてもキリスト者の生活は教会の中と同様でなければならないのである。家庭、職場、また地域は信仰の実践の場である。でも、キリスト者の生活は義務的、律法的なことではなくて、聖霊の導きと力のもとで『十字架による赦し』の恵みを受けた人の自然的な喜びと感謝に生きることである。
パウロはイエス・キリストの教えに従い「迫害する者のために祝福を祈りなさい。」と。これは、自分を十字架にかけた人々のためのイエス様の「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」の祈り、石を投げ自分を殺している人々のためのステファノの「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」との祈りである。ステファノの殉教の現場を目撃したのがパウロです。パウロは「平和」を強調し、「できれば、せめてあなたがたかたは、すべての人と平和に暮らしなさい」と勧めている。
世の中では、「目には目を、歯には歯を」と言うが、平和は勝ち取ることではなく神様から与えられる賜物で、人間が創り出すことではない。悔しい事があっても、敵だとしても、悪に対して善を行い、善をもって悪に勝つことで「すべての人と平和に暮らす」のである。あらゆる面にますます苦しい時代になっている。キリスト者としての生き方が改めて問われている。「すべての人と平和に」暮らすために恵みと力を頂いて新しい一週間も平和のために祈り続き、近いところにいる人々すべての人と平和に暮らし、神の愛の証人として生きよう。
(2022年10月16日礼拝説教より)