「主に語りかけられる者は生きる(ヨハネ31)」
更新日:2022.7.19
ヨハネによる福音書第11章28-57節
小林克哉牧師
イエスさまはわたしたちのために心動かしてくださるお方です。「イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して」(33節)、「イエスは涙を流された」(35節)。死の支配に打ちのめされているマリアたちをご覧になり、主は心動かされます。
イエスさまは愛する者をそのまま放っておくことはなさいません。ラザロの生き返りの奇跡は、マルタやマリアがお願いしたから起こったものではありません。ただ、イエス・キリストが心動かされることにより、死に勝利する神の栄光が現されたのです。
イエスさまはラザロの墓の前に立ち言われます。「ラザロ、出て来なさい」(43節)。終わりの日に起こる復活の出来事を証しするように、ラザロが生き返らされたのです。但しラザロはまたいつか死ぬことになります。しかしイエス・キリストに結ばれる者は永遠の命に目覚めることになるのです。死んでも生きるのです。大祭司カイアファが言ったように、それはイエスさまが身代わりとなって死なれることより、罪の問題が解決し、罪赦され神と和解し、キリストと結ばれて神の子とされるからなのです。
ルターは「死への準備の説教」でこう言っています。「あなた方は死ぬ時、疑わないがよい。あなた方が死人の中から甦らされるという事を。もしあなたが死人の中に眠り続けねばならないとしたら、それは神が偽りを語られたのであり、もはや神が神であられない事になる。・・・・私がたとえ千年もの間眠っていたとしても、それでも私は死人の中から甦るであろう。・・・・それ故、私はラッパの響きを待っている。『ヨハネよ、ペトロよ、ラザロよ、そして汝よ出てきなさい。』そして一瞬のうちに我々の手と足は最も美しい姿となり、我々自身が光を放つようになる。これは真実でなければならない。神が神であるからである。」
主イエス・キリストがあなたの名を呼んでくださるなら、あなたはどうなるか。四日経っていようとも、一週間、一ヶ月、一年、十年、百年、千年、一万年経とうとも変わらない。主が語りかける者は生きるのです。このイエス・キリストから名を呼ばれ、わたしたちは新しい一週の旅路へと出て行くのです。アーメン
(2022年7月10日礼拝説教より)