「真の羊飼いについて行こう (ヨハネ28)」
更新日:2022.6.20
ヨハネによる福音書第10章1-6節(新約186頁)
小林克哉牧師
今朝は花の日・子どもの日の合同礼拝です。今日のお昼から教会学校でミニ・ピクニックに行きます。行く先は知りません。本当にまだ決まっていないのです。神さまだけが知っています。子どもにくじを引いてもらって決めることになっているのです(くじで植物園になりました)。神さまが、さあ、わたしの示す地に行きなさいと言われれば、そこに向かって旅立つのです。
イエスさまは言われます。「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。」(3-4節)羊たちは今日どこに行くのか知りません。羊飼いに名を呼ばれてついて行くのだと言われています。羊飼いとはイエスさまのこと、羊はわたしたちのことです。
羊飼いは自分の羊の名を呼びます。一匹一匹のことが分かるのです。盗人や強盗、他の人なら同じにしか見えない羊たちですが、羊飼いは名を呼ぶのです。羊飼いは、羊が生まれた時から面倒を見ていました。一匹一匹の性格、特徴、よい所も弱さも知っていました。囲いに入っている羊は、まとめて羊なのではなく、羊飼いにとって一匹一匹が他とは違う特別な大切な羊なのです。だから羊は羊飼いについて行くのです。どこに行くのかはわかりませんが、真の羊飼いが養い、渇きをいやし、導いてくれることは知っているのです。
牧師就任式を前に、献身したころのことを思い出していました。イエスさまに呼ばれ、何も持たず、よく分からないいまま、わたしが示す地へ行けと言われ、東京神学大学に行きました。お金も何の用意もないままよく行ったものだと今更ながら思います。わたしの名を呼んだお方が導かれる。ついて行けばよい。わたしはついて行きました。何一つ足りないものはありませんでした。主はわたしを養い、渇きをいやし、導いてくださいました。
わたしたちひとりひとりの歩みもそうです。あなたの名を呼んでいてくださるお方がおられるのです。ついて行けばいいのです。「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。・・・・羊はその声を知っているので、ついて行く。」(3-4節)わたしたちの教会もそうです。何が待っているかは分かりません。しかし主は養い、渇きをいやし、導いてくださいます。だからついて行きましょう。アーメン
(2022年6月12日礼拝説教より)