「神の偉大な業を語る言葉(ペンテコステ)」
更新日:2022.6.14
創世記第11章1-9節 (旧約13頁)
使徒言行録第2章1-12節 (新約214頁)
小林克哉 牧師
この年のペンテコステ(聖霊降臨祭)を迎えました。聖霊なる神が降り、キリストの教会が誕生し、世界伝道が開始されたことを覚える祝いの時です。聖霊が降ると使徒たちは神の偉大な業を語りました。
ペンテコステに読まれる旧約聖書の一つがバベルの塔の物語です。その時、人間の言葉は独り言(モノローグ)になっていました。神との対話がないのです。このまま放っておけば大変なことになる。神は人間を放っておかれませんでした。「『我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。』」(7節)神の裁きにより人間は全地に散らされ「地に満ちよ」との神の祝福が実現したのでした。
この世界の混乱とは何でしょうか。それは互いの言葉を聞かなくなることではないでしょうか。相手の言葉に対し心柔らかに聞く用意がなくなり、相手の言葉を聞かなくなるのです。日常の生活でも、教会の営みでも、混乱が起こるとき、聞くことができなくなっているのです。しかし聖書が示すのは、言葉の混乱、互いの言葉を聞くことができなくなるその本質は、神の言葉を聞かなくなることだということです。神に語りかけられ、悔い改めて、神に従おうと自分を変えようとする心がなくなり、神の言葉を聞かないと人は決心してしまうのです。
神はモノローグのままではおられません。神は神の言葉を聞こうとしない人間にイエス・キリストによって語りかけてくださいました。あなたのために十字架で身代わりとなり血を流し、命を捨てるという仕方によってです。ここまでしたなら耳を傾けてくれるだろう。その熱心さにより、神はわたしたち人間に語りかけてくださったのです。
バベルの塔に降って来られた神は、ペンテコステの日に再び降って来られました。聖霊なる神として降って来られたのです。「すると、一同は聖霊に満たされ、〝霊〟が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。・・・・『彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。』」(4・12節)互いに違う言葉でありながら、しかし神の名により、神の偉大な業を語る言葉により一つとされる民が教会です。そして神の祝福により教会は全地に広がり、世界伝道の旅を今も続けるのです。アーメン
(2022年6月5日礼拝説教より)