札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「もう罪を犯してはならない(ヨハネ22)」

更新日:2022.4.11

ヨハネによる福音書8章1~11節(新180頁)

小林 克哉牧師

イエスさまは神殿の境内で神の言葉を語っておられました。「そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ」(3節)た。イエスさまを陥れるための策略でした。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」(4-5節)
イエスさまが「この人を裁かずに赦してやろう」と言えば、ユダヤ教の中心地、エルサレム神殿の只中でモーセの律法を破り、ないがしろにしたことになる。反対に「律法通りにこの女性は石打により死刑だ」と言えば、いつもは愛だの赦しだのと語っているが、この一人の女も救えないのかと、イエスさまの評判を落とすことができる。
「彼らが、しつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。』」(7節)人の前で、人と比べて、自分のほうがましだ、自分は正しいと思っていた者が神の御前に立たされることになったのです。自らの罪の問題を一般論にすり替えることはできない。「これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。」(9節)
人々の前に立たされ、罪人だと指さされていたこの女性は、一人残され、神であるお方、独り子なる神の御前に立ったのです。イエスさまは「石を投げよ」と言われました。イエスさまは罪を罪として裁かれる。曖昧にも、もみ消しにもされない。「石を投げよ」。この女性は死刑宣告を受け、死んだのです。
「イエスは言われた。『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。』」(11節)これは罪を罪として曖昧にされないお方が、人の罪を背負い身代わりに十字架におつきになられる決意のお言葉です。この女性は神の御前に立つ者に変えられたのです。そして罪赦された者として歩み出したのです。この後も罪を犯したでしょう。その度に、この主イエス・キリストのお言葉を思い出し、励まされ、もう一度歩み出したに違いありません。わたしたちも同じでしょう。アーメン

(2022年4月3日礼拝説教より)

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