「良くなって歩き出せ(ヨハネ13)」
更新日:2022.2.1
ヨハネによる福音書5章1-18節 (新171頁)
小林 克哉 牧師
イエスさまに近づいてもらい語りかけられた人がいました。三十八年もの間、病気で苦しみ、ベトザタという池の回廊で、床に横たわっていた人でした。何歳の人かは書かれていませんが、三十八年間病気だったのです。人生を考えると病気である期間のほうが長かったかもしれません。それだけ長ければある意味病気であることに慣れ、健康になることを諦めてしまっていたとしてもおかしくないでしょう。それでも健康になりたいからベトザタの池に来たはずです。イエスさまは「良くなりたいか」と尋ねられます。しかしこの人は「良くなりたいです」と答えないのです。「病人は答えた。『主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。』」(7節)この人は「良くなりたいです」と言う代わりに、周りの人が悪いんだ、あの人たちのせいだと言うのです。
わたしたちはキリスト者として、イエスさまに「良くなりたいか」と問われたならどうでしょう。「なぜ変わらなければならないのですか。今の信仰で十分ではないですか。」教会として問われたならどうでしょう。「このままの教会では何か問題があるのですか。今の教会で十分ではないのですか。」この人と同じでないのか。いつの間にか諦めの中に安住し、このまま病気で死んでいく、滅んでいくのを待つだけだとしたなら・・・。イエスさまは近づき語りかけられるのです。「イエスは言われた。『起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。』すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。」(8-9節)
主はわたしたちが今まで横になっていた床に安住するのでなく、主にある健康、健全さを与えられて歩き出させてくださるのです。主の御言葉がわたしたちを立ち上がり歩き出させるのです。「わたしの父は今なお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」(17節)イエスさまは今も生きて働いておられます。諦めることなくわたしたち一人一人に、わたしたちの教会に、今日も近づき語り続けてくださっています。「良くなりたいか。」(6節)「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」「もう、罪を犯してはいけない。」(14節)アーメン
(2022年1月23日礼拝説教より)