札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「命の実を刈り入れる喜び(ヨハネ11)」

更新日:2022.1.17

ヨハネによる福音書4章21-42節 (新169頁)

小林克哉 牧師

同じ光景でも人によって見えているものが違うと言います。サマリアの町を見た弟子たちは、ここでは何一つよい実りは得られないと思ったでしょう。そこに弟子たちの不信仰があります。しかしイエスさまは違いました。「わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。」(35-36節)イエスさまが見ている光景をわたしたちも見せていただきたいのです。
不信仰な弟子たちにイエスさまは言われます。「既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。」(36節)既に蒔かれている種があるのです。イエスさまご自身によりサマリアの女性に御言葉の種が蒔かれ、サマリアの女性が町の人たちに語り出したのです。更にそのずっと以前、アブラハム、イサク、ヤコブの時代に蒔かれた種があり、モーセの律法を通して人々が聞いたことがあるのです。
求道者の方とお話しをしていると、既に種が蒔かれていて、そして教会に来られたと言われる方が多いです。キリスト者の家庭で育ったこと、キリスト者の家族や友人の存在、キリスト教学校や教会幼稚園出身であること、家にあった聖書、キリスト教文学や音楽との出会い。それらで得たおぼろげな信仰が教会に来て次第にはっきりとかたちになっていくのを経験するのです。サマリアの女性から聞いて信じた人々は、イエスさまの言葉を直接聞いて更に信じたのです。信仰は少しずつ主が語ってくださる御言葉により確かなものへ変えられていくものです。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」(42節)
イエスさまは不信仰な弟子たちに言われるのです。あなたがたが刈り入れの喜びを味わうことになると。その時、種を蒔いた者たちも共に喜ぶと。わたしたちも刈り入れの喜びを味わうことがゆるされるのです。そしてわたしたちも種蒔く者の喜びを味わうことがゆるされているのです。イエスさまの目にはわたしたちの教会は、この町はどう見えているのでしょうか。わたしたちもその光景を見せていただきたいのです。「目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。」(35節)アーメン

(2022年1月9日礼拝説教より)

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