「信じて向こう岸に渡ろう」
更新日:2021.7.26
マルコによる福音書4章35~41節(新約68頁)
小林克哉牧師
「その日の夕方になって、イエスは『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた。」(35節)弟子たちはイエスさまを乗せて舟を出します。ところが舟は嵐に見舞われました。嵐の中で弟子たちの不信仰があらわになります。恐れ、信じられない罪です。「イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、『黙れ。静まれ』と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。」(39節)
本当にこの御言葉の通りだと思わされます。試練は確かに辛いのですが、振り返ると主が導いてくださらなかったことはないからです。どんなに激しく思える嵐も、舟が沈みそうに思えるとしても、イエスさまが嵐を静められるのです。わたしたちが嵐を静めるのでも、わたしたちが信仰深いから風は止むのでもないのです。恐れ、信じられない弟子たちに主はご自身がどなたであるかを示されます。
わたしたちの信仰の歩みとは、イエスさまがどなたであるかがはっきりしていく歩みであると言えるでしょう。嵐の中で、眠っていた方が目を覚まし人間を滅びへと呑み込もうとする混沌の力から救ってくださるのです。「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえ従うではないか」(41節)。この福音書を更に読み進んで行くと十字架で贖いの死を遂げられるイエスさまが示されます。「本当に、この人は神の子であった」(15章39節)。十字架で死なれていた方が三日目にご復活し人間を滅びへと呑み込もうとする罪とその裁きとしての死から救ってくださるのです。
求道の友にとって信仰を持って歩む人生は向こう岸に思えるかもしれません。キリスト者にとってはあの人を教会に誘ってみようというチャレンジは向こう岸に思えるかもしれません。札幌教会も新しい牧師を迎えた歩みが始まっています。嵐を静める方、十字架で死んでご復活された方が言われるのです。「向こう岸に渡ろう」。怖がらなくていいのです。主の舟は沈みません。信じて向こう岸に渡りましょう!
(2021年7月18日礼拝説教より)