「まことの礼拝」
更新日:2021.7.9
ヨハネによる福音書4章19-26節(新約169頁)
朴 美愛牧師
コロナ感染症がもたらした世界の変化は、人類の歴史をコロナ禍以前と以後に分けられるほど衝撃的なことで、教会もこの衝撃から避けられなかったです。迫害にも、戦争にもどんなときにも守り続けられてきた礼拝が休止せざるを得なくなったのです。それも、全世界的に。苦難の時ですが、今こそ「まことの礼拝」は何かを考えることで、この時なりの恵みを味わいたいです。
イエス様とサマリア人の女の井戸での対話の中には「まことの礼拝」について記されています。ユダヤ人であるイエス様とサマリア人の女の間には歴史的な背景のゆえ民族や性別などの壁がありました。が、イエス様はすべての壁を乗り越えて、サマリア人の女に近寄ってくださったのです。イエス様は、礼拝すべき場所を聞く女性に、礼拝は場所の問題ではないことを明らかにしました。彼女は罪の赦し、生活の空しさや人々からの傷に、神様の赦しや憐れみを求めるために犠牲のいけにえをささげる礼拝を常に慕う人であったかもしれません。イエス様は、以前は特定な場所でささげられた礼拝ならば、今は霊と真理をもって「まことの礼拝」をささげる時だと、礼拝の対象と本質を示してくださったのです。23~24節に「霊と真理をもって」という言葉を重ねて使っています。「霊」とは父・子・霊の「三位一体」の神で、ヨハネが神様を一言で表現する言葉です。「この方は、真理の霊である。」(ヨハネ14:17)すなわち、イエス・キリストなのです。私たちが礼拝すべき方は天地万物の創造主であり、今も、歴史の中、私たちの人生の中で働いておられる神様なのです。神様は独り子をお与えになるほどに世を愛され、私たちの罪の贖いになりました。私たちはその赦しに、救いによって神様を礼拝する者として生きているのです。
時代の変化と伴いコロナ禍の中、ますます礼拝の方式は多様化されていますが、方式だけではなくて「まことの礼拝」が何かをあらためて心の中に刻み付けたいです。旧約・ミカ書4章6~8節と新約・ローマの信徒への手紙12章1~2節を黙想し、どんなときでも、どこにいても「まことの礼拝」の礼拝者として与えられる日々を歩んでいきましょう。
(2021年7月4日礼拝説教より)