「復活の主イエスとの出会い」
更新日:2021.4.9
ルカによる福音書24章13-16、28-35節(新160頁)
朴 美愛牧師
「二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った。」(ルカによる福音書24章32節)
今年のイースター礼拝はコロナ禍の暗闇と絶望の中で迎えたかも知れません。しかし、私たちはこの時が決して絶望だけではなく、新たな希望を生み出す時であることを主イエスの十字架の受難と復活を通してよく知っています。
主イエスの十字架の処刑はユダヤの人々がローマ帝国の支配下の苦難の時、主イエスによる新世界の実現に唯一希望を抱いていた弟子には挫折と絶望以上の出来ごとでありました。二人の弟子が絶望の中で以前の生活に戻ろうとエルサレムを離れ村へいく道上、近づいて来た人と一緒に話しながら同行すると、彼はモーセから始め聖書全体にわたり説明されたのです。そして、この人は一緒に泊るようにもなり食事を始めた時、パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになりました。この時、弟子たちは目が開け復活の主イエスだとわかりました。すると、主イエスは見えなくなりましたが、二人はその人が道で話しておられたとき、また聖書を説明してくださったとき、「心が燃えていた」と話し合ったのです。彼らは急いでエルサレムに戻り、仲間にこのことを証しました。
私たちは人生という道上でコロナ禍のように予想もしなかった事に絶望し、希望を、生きる力さえ失ってしまうことがあります。すると、エマオへの道上の弟子たちのように自分の考えで頭も心もいっぱいで、復活なさった主イエスに出会っても分からないのです。絶望に覆われていると期待していたことが起こっても、ありえないことに決めつけると見えなく、聞こえなくなるのです。それでも、主イエスは私たちが気づくまで一緒に歩き、声をかけて下さるのです。「復活の主イエスとの出会い」は今生きておられる主イエスに出会うこと、主イエスと共に生きることです。聖書を読む、聞く、話される時が、祈る、礼拝の時が「復活の主イエスとの出会い」の時です。特に、聖餐にあずかる時が。今日、復活の主イエスに出会い、新たな命と希望と力を頂いて今の混乱と苦難の時も感謝と喜びを持って乗り越え、主イエスの復活を証しするものでありますように。
(2021年4月4日㈰イースター説教より)