札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「主の業に常に励め」

更新日:2021.3.26

コリントの信徒への手紙一15章35-58節(321頁)

米倉美佐男牧師

「肉と血は神の国を継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。」(50節)
レントの第5主日礼拝です。来週は受難週に入ります。主のよみがえりを思い、イースターを迎えるための備えを致しましょう。
今朝は15章の35節以下を読み、次週16章でこの書は閉じます。「死者はどんなふうに復活し、どんな体で来るのか」(35節)。復活を信じることのできない人は皆いいそうな言葉です。

ある意味自然です。初めから信じることができる方が特別です。直接体験しているならいざ知らず、はい信じますと言える方がおかしい。いたらごめんなさい。私は信じれなかった。でも不思議です。疑れば疑うほどこれにはまるとつぼを得たように、見なければ信じない等と言わなくな るのですから。はっきり言えるのはそう信じ、伝えて来た教会の信仰の方がわたしたちの思いを越えて確かに迫って来るのです。

今朝の箇所で特に注意して頂きたいのは40節、朽ちるもので巻かれ、朽ちないものに復活する。朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできない。朽ちる体の持ち主であるわたしたちはそのままでは滅びるだけ、しかし、朽ちることのないキリストによって、滅びるものが復活する、救われて神の栄光の業へ昇華される。わたしたちの信仰の真髄がそこにあるのです。最初のアダムは土から造られやがて土にかえる存在です。けれども第二のアダム、即ちキリストは朽ちず汚れず、しぼむことのない存在として、朽ちないものへと信じる者を変えてくださり、この死ぬべき者を死なない者としてくださるのです。わたしたちはキリストを着るのです、そしてキリスト者として生かされるのです。

キリストを信じる者の群れである教会は神の国を受け継ぐのです。わたしたちに送られた神秘は、眠り続けるのではないと言うことです。復活信仰によって確かな救いのうちに生かされるのです。復活信仰がわたしたちの真の希望です。だから、復活信仰に固く立ち、信仰を受け継いでいきましょう。信仰に固く立って歩んで参りましょう。「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」(58節)

(2021年3月21日礼拝説教より)

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