札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「目を覚ましていなさい」

更新日:2020.12.4

マタイによる福音書24章36-44節(新約48頁)

米倉 美佐男牧師

「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産みその名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ7章14節)

アドヴェント(待降節)の第1週に入ります。今年は新型コロナウィルス禍による不安が蔓延しもう約1年が経過しようとしています。いまだ収束の見通しが立ちません。
不安が増すと希望を見失いかねません。度が進めば絶望へと至ります。しかし、聖書はそれに対し明確に希望の光を与えます。今の時は私たちの信仰が試されているのです。

説教題を「目を覚ましていなさい」としました。備えていなさいということです。説教中眠らないようにとの注意ではありません。24章の記事は主が十字架にお架かりになる前の終末預言の箇所です。アドヴェントの時、クリスマスに備える今の時も、クリスマスが十字架を背負う方の誕生であることを思う時、既に終末の時を予め意識すべき出来事として備えるべきであるのです。

終末的到来の一般的前兆として偽メシアの出現、戦争の勃発、各地での飢饉、地震、また信仰的危機もあります。
迫害や離脱、裏切り、相互不信、信仰の衰退等です。世界中どこでも、今この時代にも。いたずらに危機感を煽っているのではありません。そうではなくて今ある危機の中で何を見、何を聞くかが大切なのです。聖書の信仰の大事な教えの一つに初めがあって終わりがあるという考え方があります。聖書の危機管理は終わりから今を見、スタートからの連関性の中で示されます。危機的現象に一喜一憂するのでなく、み言葉を通して神のみ旨に聞くという方法です。委ねるべきことは委ねて慌てふためかないで、あるがままに信じて主なる神に委ねて歩むのです。ノアの出来事の例は過去の歴史、教訓に学びなさいと言うことです。神の選びとみ言葉を信じて前進するのです。ある日突然来る終末に備えることはその日その時がいつ来てもいいように「目をさまして」備えることだけなのです。

(2020年11月29日礼拝説教より)

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