「唯一の主キリスト」
更新日:2020.10.19
コリントの信徒への手紙一 8章1-6節(新309頁)
米倉 美佐男 牧師
「唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。」(4節)
パウロは「偶像に供えられた肉」について語ります。これもコリントの教会から訴えられた問題の一つでした。生活に欠かせない食の問題です。異邦人社会でもアフロディ―テやゼウスを祭る神殿に献げられた犠牲の肉が、祭司たちが必要な消費をした残りを市場に卸し、それを市民が食していたのです。それを食することが信仰者としておかしいということが問題として提起されたのです。
ユダヤの律法規定によれば当然汚れたものです。それを食すことは律法違反です。しかし、パウロは律法解釈の意味、今日的に言うなら正しいみ言葉の読み方、聞き方を教えたのです。神のみ旨を求めずに「我々は知識を持っている」(1節)と自負して自分の知識を誇り他者を生かす愛がないのは高ぶりであり正しくないと警告したのです。
「知る」ことで大切なことは我々が神に知られている存在だということです。そのことを知り、唯一の神であるお方を正しく礼拝することが大事です。コリント教会のおかれていた環境は我らの環境とよく似ています。
多神教の中での唯一神との出会いです。そこには信仰を貫くための戦いがあります。その戦いは内にも外にもあるのです。どこで折り合いを付けたらよいのか迷います。そこで示されるのが「わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神に帰って行くのです。また唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。」(6節)
これは信仰告白です。仲保者であられる主イエス・キリストによって父なる神との結びつきを確かな救いとして与えられているのです。十字架の贖いと復活の喜びに満たされて、地上の歩みを前に進んで行くのです。
(2020年10月11日礼拝説教より)