「神の国は言葉ではなく力」
更新日:2020.7.31
コリントの信徒への手紙一4章1-21節(新303頁)
米倉 美佐男牧師
「神の国は言葉ではなく力」
4章はコリント教会に遣わされたパウロの伝道者・牧会者としての務めについての自負が語られています。彼は自分をキリストに仕える者であると公言します。キリストの奴隷だとも言います。管理者(オイコノモス)とも言っています。何を管理するのか、それは人ではなく、神の奥義十字架の福音です。要求されるのは忠実(ピストス)だけ。雄弁とか有能かではなく、キリストに忠実かどうかが問題です。指導者をどういう基準で見るかが大事だと言うのです。それで教会の成長度が分かるからです。
パウロはここでかなり感情的な物言いをしています。感情をさらけ出すことによって人々の情に訴えているのです。いわれのない侮辱を受けたけれど、どんなに屑、滓扱いされてもそんなことは問題ではない、私たちはみな神から必要なものを与えられている存在なのだから高ぶってはならない。私はあなたがたに恥をかかせるために語っているのではない。愛する自分の子供のように思っていると。
私はキリストによってあなたがたを設けた、だから「わたしに倣う者になりなさい」、愛する弟子のテモテを送ります。彼を送るのは、今すぐでもあなたがたのところに飛んで行きたいができないので、彼を遣わす。それが今自分のできる限りの、あなたがたを思っている証です。最後に心に留めたいのは「神の国は言葉ではなく力にある」(20節)です。その意味は神の言葉を無にせず、聖霊による力ある言葉、即ち与えられたみ言葉を聖霊の導きを信じて信仰生活を全うしようと言うのです。21節をどう読みますか。彼の願いはあなたがたは悔い改めの心を持って過去にばかり目をとめることなく、過去の危うさ、失敗にとどまらず、それを糧として将来に向かって、教会を正しく建てて行くことに思いと祈りを集中して欲しい、それがパウロの祈り、願いでした。共に主の御心を追い求めましょう。
(2020年7月26日礼拝説教より)