「復活なさって、ここにはおられない」
更新日:2020.4.20
マルコによる福音書16章1-8節 (新約97頁)
米倉 美佐男牧師
「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。」(6節)
今朝共にイースター礼拝を献げることができますことを感謝します。新型コロナウィルス禍のため礼拝に来られない者、礼拝を中止せざるを得ない教会もある中で礼拝を献げることのできる幸いを感謝します。主イエスが私たちのために十字架に献げてくださった愛に私たちもお応えして行きたいと思います。礼拝後の愛餐会はしませんが共にいただく聖餐の恵み、主の食卓を感謝していただきましょう。
マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは安息日が終わるのを今か今かと待っていました。イエスの亡骸に油を塗るために、葬りのための香油でした。墓に向かう彼女たちには一抹の不安がありました。墓を閉ざしている大きな石の蓋、それをどうして動かすことができるか、自分たちの力では無理かもしれない。ところが着くと石は転がしてあり、中に白い衣の若者がいて、驚く女たちに「驚くことはない。」、さらに、主はよみがえられた、そしてかねてからの約束通りガリラヤで待っておられる、そうペトロや他の弟子に伝えよと言いました。
イースターのメッセージは人の思いをはるかに越えて私たちが何を求めるべきかを知らせます。過去の懐かしさを求めるのでなく、み言葉を信じて復活の主に出会う希望を見出せと。空の墓に涙するのでなく、み言葉を信じる者には失望、絶望でなく希望が与えられることを。女たちがこの後どのようであったかはここに記される通りです。逃げてその場を去らざるを得ないほど震え上がり、正気を失うほどの恐ろしさで一杯だったのでした。けれども信じる者には現実を直視し、そして目の前にある困難を乗り越えることのできる力が与えられるのです。主によって。
(2020年4月12日礼拝説教より)