「すべての人を憐れむため」
更新日:2020.3.26
ローマの信徒への手紙11章25-36節 (新約291頁)
米倉 美佐男牧師
「これこそ、わたしが、彼らの罪を取り除くときに、彼らと結ぶわたしの契約である。」 (27節)
異邦人の救い、同胞イスラエルの救いがパウロの悲願でした。神の「秘められた計画」(25節ミュステーリオン)が全イスラエルの救いにあるのです。神の救いの計画は取り消されることはない。なぜなら神は救いの契約をお与えになり、イスラエルが神の民として選ばれた事実は消されないからです。イスラエルの躓きの結果、選びにより残された者が救われる、それは約束の終末的成就であるけれどもまだ最後の時は来ていない。約束の成就は異邦人の救いの後、イスラエルも救われる。
前に全イスラエルが皆救いにあずかるとすればと語ったがここでは異邦人が救いに達するまでと言う。パウロは異邦人に自分を賢いと思わないで、うぬぼれずに悔い改めて歩みなさいと勧めます。全イスラエルが救われれば皆救われる。異邦人であるあなたがたが皆救われる時全イスラエルも救われる。今ではないが必ずその時が来る。だからそれまでは預言者が言ったように契約に基づいてあなた方異邦人は今すべきことを粛々としなさいと。
最後に、福音についていえば、イスラエルの犯した過ちは神に敵対するものでした。しかし、福音があなたがたに伝えられるためにそれは不可欠でした。異邦人であるあなたがたが忘れてならないのは、選びについてはイスラエルが先輩であり、その根は先祖たちから受け継がれてきたのだということです。神の大いなる愛の内に私たちは生かされているのです。神の愛は悔い改めた者を両手を広げて迎えてくださる父の愛です。それは不変(アメタメレートス)の愛です。「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン」(36節)。
神に結ばれていることを感謝。
(2020年3月15日礼拝説教より)