「自由な選びによる神の計画」
更新日:2020.2.10
ローマの信徒への手紙9章1-18節 (新約286頁)
米倉 美佐男牧師
「このように、神はご自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。」 (18節)
パウロは個人の救いから少し枠を広げて教会のあるべき姿を思い描きながら話を進めています。パウロはとても孤独な状況下で語っています。ユダヤ教のトップエリ-トからその反対グループの指導者になったからです。同胞ユダヤ人グループから裏切り者扱いをされ、キリスト者グループからも歓迎されない状況にありました。
キリストのために働けば働くほど、パウロはどんどん孤立していくような感じになりました。深い悲しみ、心に絶え間ない痛みを覚えたのです。そのような心境にありながら彼はキリストに結ばれ救われた者として偽りを言わず、真実のみを語り、聖霊の導きを受け証しするのです。自分自身ユダヤ人であることをおろそかにしたことはないし、同胞の救いのために祈っていました。同胞のためなら自分はどうなってもかまわないという思いで。
キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思うと言うのは、主の十字架と復活のことを思いながら、キリストの愛、神の愛によって、同胞のことを思い、主イエスの歩みに自分も従うという証です。肉的な血のつながりだけを重んじたからでなく、ユダヤ人が神の長子として選ばれた民であるがゆえの熱き思いです。もう一点大事なことはキリストも肉によればユダヤ人から出たのであるが、キリストは万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神だと証ししていることです。それが教会の信仰です。神の憐れみを受けて神のご計画のうちに私たちは生かされているのです。自分自身を見失わないように主の憐れみを頂きながら主に従って歩むのです。そこに本当の憩い、やすらぎがあるのです。
(2020年2月2日礼拝説教より)