「神の愛」
更新日:2020.2.3
ローマの信徒への手紙8章31-39節(新約285)
米倉 美佐男牧師
「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。」(31節)
主イエスをキリストと信じる者には万事が益となるように聖霊が導いて下さるとパウロは言う。そのことを伝えるためにパウロは神の愛についての立証を試みています。神が私たち信仰者の味方なのだから私たちに敵対し得る者はいない、神にかなう者はいない。神に敵対することなど誰にもできない。神は私たちを救い出すために、愛する独り子イエスを私たちのために惜しみなく十字架にかけて救ってくださった。神の深い愛が与えられているのです。
神に選ばれた者を訴える人たちがいたとしても恐れるに及ばない。人を義としてくださるのは神なのだから。誰も私たちを罪に定める事はできません。それができるのは唯一神のみです。そして復活の主キリスト・イエスが執り成してくださったので私たちは今こうして生かされているのです。キリストの愛によって私たちは神と強く深い絆で結ばれているのです。だから、どんな患難、苦しみがあっても、迫害や飢えや様々な困難があっても私たち神の見守りのうちにあるのです。
神の深き愛は32節の「惜しまず」に示されています。
御子と私たちを同じ秤にかけて比べることなどできません。しかし神はためらうことなく、救うに価値のない、裏切ることの多い私たちのために神の右に座す御子を迷うことなく十字架に犠牲として差し出してくださった。これを神の愛といわずして何が神の愛かとパウロは言うのです。無条件の神の恵みとして賜ったのです。「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」(コリント二5章20節)。私たちを主の十字架につなぎ留めておくのが聖霊です。神は愛です。
(2020年1月26日礼拝説教より)