「マリアとヨセフ」
更新日:2019.12.25
マタイによる福音書1章18-24節 (新約1頁)
米倉 美佐男牧師
「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。」(21節)
アドベントの第3週の礼拝を献げます。3本目のローソクに火が点り、次週は4本目のローソクに火が点りクリスマス礼拝を献げます。
今朝の聖書個所は待降節第4主日に読まれるところです。
所謂受胎告知の場面ですが、マタイはおもに父となるヨセフ中心、ルカは主イエスの母になるマリアが中心に展開します。この場面でヨセフもマリアも共に抱くのは、恐れと不安でありました。それはある意味当然でありました。彼らは婚約はしていましたが子を身籠ることはあり得なかったからです。
当時の習慣では婚約は結婚したと同じ意味合いを持ちました。この記事の大事な最初のポイントは母マリアは聖霊によって身ごもったのです。人間の力の及ばない神の御業の出来事として起こったのです。ところがヨセフは突然起こった出来事に戸惑いを覚えます。彼は信仰的に正しい人でした。なおさら彼は慌てます。事を表ざたにすることはマリアのことを思うとできませんでした。
彼は悩んでひそかにマリアと縁を切ろうとします。そんな時夢でみ使いガブリエルが現れ、「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産みその名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ書7章14節)、インマヌエルは「神は我々と共におられる」という意味です。夢で天使がヨセフに語った言葉です。彼は眠りから覚めると天使が命じたとおり、妻を迎え入れました。神のみ旨だけを求め、人間的思いは抑えた
のです。そして命じられた通り、子の名を「イエス」と名付けました。ヨセフは神のみ旨を求め、受け入れる決心をしたのです。それを実行することができたのは、神我らと共におられるという信仰であったのです。
(2019年12月15日主日礼拝説教より)