「キリストの愛を知る」
更新日:2019.10.7
エフェソの信徒への手紙3章14-21節(新約355頁)
橋本 いずみ牧師
教会には、祈る人の姿があります。そこで祈る人の姿勢は、どのようでしょうか。聖書には、ひざまずいて祈る人がいます。パウロは、父なる神さまの前でひざまずいて祈っているのです。ひざまずくと自ずから立っていた時には、見下ろしていたものと同じ視線になり、立っていた時には同じ目線だったものを見上げることになります。ひざまずいて、祈ることによって見えてくる父なる神さまの姿があります。
コリントの信徒への手紙13章は、「愛の讃歌」として知られるもので、「こういう愛を身につけて、頑張って下さい」と課題を与えられているものではありません。キリストによってわたしたちに与えられた「神の愛」をほめたたえています。神さまは、わたしたちを愛してくださいました。イエス・キリストはわたしたちを愛するゆえに、その命を捨ててくださいました。それは、「愛は忍耐強い」という言葉から始まるこの言葉の通りに(4-7節)、わたしたちを関わり続けてくださったし、これから先どんなことがあっても、この関わりは、変わらないということです。
わたしたちの根っこには、キリストによって示された神の愛がある。この愛に根ざして、わたしたちは生き、教会は立てあげられていきます。植物の根は、地中にあって、どのくらい根が張っているかは、見えませんが、根がないと植物は、しっかりと立つことはできませんし、成長せず、すぐに枯れてしまいます。キリストがどれほどわたしたちを愛してくださっているかその全貌を見ることはできませんが、わたしたちの目に見える部分(わたしたちの生き方、教会の現状)を支えているのは、根っこなのです。キリストによって示された愛に根ざして、生きるものたちを神さまは、キリストの似姿にまで成長させてくださいます。キリストの愛を知は知り尽くすことができないほどに、広く、長く、高く、深いものです。世界に広がるキリストの愛を、時代を超えて働かれるキリストの愛を、すべてにまさるキリストの愛を、わたしたちの深い罪よりさらに深い神の愛を、知ることができますように。
(2019年9月29日礼拝説教より)