札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「身体を神に献げよ」

更新日:2019.9.30

ローマの信徒への手紙6章1-14節 (新約280頁)

米倉 美佐男牧師

「五体を義のための道具として神に献げなさい。」(13節)

私たちはみな生まれながらの罪人ですが、キリストはその罪を上回る大いなる十字架の愛によって私たちの罪を贖ってくださいました。イエスをキリストと信じることによって私たちは罪を赦され救われたのです。前章の終わりに主の恵みの大いなる出来事が語られました。それを受けてここではそれがどういうことになるのか「恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。」、「決してそうではない。」自問自答するように語られています。罪が大きくなればなるほど、それを上回る恵みが与えられるのならもっと罪の中にいた方がいいという声があったのです。

罪に対して死んだわたしたちが罪の中に生きることはできません。それはしてはならないことです。洗礼を受けてキリスト者となったのですから。キリスト・イエスに結ばれたのですから、私たちは心身ともにキリストのものなのです。パウロは洗礼の意味を丁寧に語ります。その意味は私たちの古き身体はキリストと共に葬られ、十字架の死を自分のものとし、新しい命に生かされるのです。それは復活のことです。十字架と復活に与る新生が与えられました。

最後に記されるのは献身です。献身とは神に自分自身を献げることです。それは礼拝そのものです。キリストが私たちを贖うために御身体すべてを犠牲としてくださったのです。それ故私たちもキリストに全身全霊を献げるのです。それが礼拝の意味です。礼拝で献げる献金は献身の記しです。強いられてではなく、精一杯の感謝の記しとして献げるのです。信仰は飾ではない、アクセサリーではありません。身にまとう衣です。私たちはキリストを着るのです。キリストと一体となる信仰を互いに祈って求めましょう。罪は己の欲、満足を求めます。救いは神の御心を求めて主に従う者に与えられます。五体を神に献げましょう。

(2019年9月22日礼拝説教より)

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