札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「義とされ命を得る」

更新日:2019.9.24

ローマの信徒への手紙5章12-21節 (新約280頁)

米倉 美佐男牧師

今年も永眠者記念礼拝を献げることができました。毎年9月は第一週に創立記念礼拝を献げ、第三週が逝去された諸先輩を覚えての礼拝です。先週は札幌教会創立130年の秋季特別伝道礼拝を献げました。今朝は信仰の諸先輩を偲び、彼らに続いて信仰を継承して参りたいと思います。諸先輩が大切にしたものを受け継ぎましょう。私たちは死んだ後どうなるのでしょう。聖書的に言うなら私たちには復活信仰があります。永眠するのでしょうか。そうではなく永遠の生命に生かされるのです。それは復活のことです。救いの出来事なのです。

今朝の箇所に書かれているのは、私たちの信仰は主イエスをキリストと信じて罪から救われるということです。聖書の言う罪は、神に造られた人間が畏れ多くも神のようになろうとして道を踏み外すこと、神の道からそれて脱線することです。キリストは道を踏み外した私たちを軌道修正し、正しい道に戻してくださいました。御自身を十字架に架け、自らを犠牲として私たちを贖ってくださったのです。イエス・キリストの十字架と復活によって私たちは神のもとに帰ることができたのです。

最初の人アダムによって罪が始まり、その結果死が与えられました。そして新しい第二のアダム、キリストによって救いが回復し、新しい生、永遠の生命が与えられたのです。主を信じる者はキリストによって義とされ命が与えられます。パウロが声を大にして訴えるのは、アダム対キリスト、滅亡の歴史と救済の歴史があり、それは対立するのでなく、アダムの中にキリストの祖型があると言います。新しき救いの時代がキリストによって与えられました。パウロは新しきアダムとしてのキリストを受け入れなさいと言います。キリストの贖いによって永遠の生命が与えられました。人間の犯した罪の大きさをはるかに上回る神の赦しと救いがあるのです。それが福音です。

(2019年 9月15日礼拝説教より)

前のページに戻る