「愛ではなく、信仰によって」
更新日:2019.8.26
ガラテヤの信徒への手紙5章2-6節 (新約349頁)
田村 敏紀神学生
「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です」(6節)
ガラテヤの人々は、パウロが当初伝えたキリストの福音から次第に離れて行きました。理由は、エルサレムから来た反パウロ集団がガラテヤの人々に、「信仰だけでなく、律法も守らなければ本物のクリスチャンになれませんよ」と言って、教会を混乱させていたからです。パウロは急ぎ、手紙を書き、割礼のあるなしは問題ではない、主イエスに対する信仰こそが大切ですと、勧告しました。
マルティン・ルターは、当時のローマ・カトリックの教えに従い、「正しい行動」をしなければ神に裁かれると考え修道院に入りました。しかし、いくら修行しても救いの確信は得られませんでした。ルターは、「人間を裁く神」と言う考え方から、「正しさを与えてくれる神」へと思い至り、安心を得ます。
今から74年前の8月6日、広島市内の流川教会の谷本清牧師は、原爆投下直後の市内を、妻子を探して歩き回り、ようやく元気な姿の妻と娘に出会います。しかし、谷本先生は、この日の行動を後悔し、自分を責め続けます。その理由が『広島原爆とアメリカ人』という本に出ています。そこには、倒壊家屋の下から助けを求める人を振り切って立ち去った谷本先生の姿が描かれております。谷本先生はその後、被爆少女の救済活動やアメリカでの講演活動し、平和を訴えます。「ノーモア・ヒロシマ」は谷本先生の言葉です。妻子を探す姿は、人間的な愛と言えるでしょう。しかし、それを悔い、平和のために生きるのはその次の段階、十字架の信仰に繋がるものではないでしょうか。
(2019年8月18日礼拝説教より)