「信仰の父アブラハム」
更新日:2019.8.16
ローマの信徒への手紙4章1-12節 (新約278頁)
米倉 美佐男牧師
「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」(3節)
「信仰の父アブラハム」、アブラハムと聞いてみなさんは何を思いますか。旧約聖書の創世記に族長物語があります。アブラハム・イサク・ヤコブと記されます。親・子・孫という時系列でイスラエルの始祖である族長たちのお話しが書かれています。最後のヤコブの12人の子がイスラエルの12部族となります。アブラハムは開祖的存在です。パウロはこの書の3章21節に信仰による義が旧約聖書に証されていると述べ、そしてイエス・キリストの十字架と復活の福音を確かな救いと証しています。
ここはユダヤ人を念頭に語っています。ユダヤ人ならばだれもが認めるアブラハムとダビデを登場させます。今はアブラハムだけに話を絞ります。アブラハムは義人であり預言者として称えられました。彼が信仰の父と呼ばれたのは彼の信仰を神が義として認めたからでした。決してアブラハムが完璧であったからではありません。聖書はアブラハムが神の前に誇ることがあったとは語っていません。ただ神の言葉に忠実に従う人だったのです。
この個所を通して示されるのは信仰とは何かと言うことです。信仰の中心は何を信じるかです。何を信じて救われるか、善行を積んだから義とされる、救われるのではなくイエス・キリストの十字架と復活を信じれば救われるのです。ただそれだけなのです。アブラハムの信仰を後生大事にするユダヤ人に向かいパウロはアブラハムの行いを神が認めたのではなく、アブラハムが神を信じ、疑いながらも従ったから神は彼の信仰を義と認めたのだと言ったのです。疑いながらも信じ、迷いながらもすべてを主なる神に委ねたのです。同じように私たちも十字架と復活のイエス・キリストに委ね確かな救いを与えていただきましょう。
(2019年8月4日礼拝説教より)