「正しい者はいない。一人もいない。」
更新日:2019.7.29
ローマの信徒への手紙 3章9-20節 (新約276頁)
米倉 美佐男牧師
パウロは言います、ユダヤ人もギリシア人もみな罪人であると「正しい者はいない。一人もいない。」(9節)。それは正しい者は父なる神とその独り子イエス・キリストのみだとの宣言です。人間はみな罪人なのです。だからキリストの贖いを受け、救われる必要があるのです。私たちはキリストの赦しと贖いがなければ救われないのです。裏を返せば十字架のキリストを信じることができれば救われるのです。救われるために主イエスに向き合って自分の罪の姿を認めるのです。
10節から18節の鍵括弧の部分は旧約の詩編とイザヤ書の言葉で、結論は「彼らの目には神への畏れがない。」(18節)に集約されます。そこに根源的問題があります。正しい者、口語訳や文語では義人と訳されています。信仰的に完全な人と言う意味です。その意味では確かにみな義人ではありません。旧約にはヨブやモーセやアブラハムが義人と呼ばれています。ですからユダヤ人にとっては、パウロの発言はとんでもないと憤慨するに十分な内容です。
しかし、パウロは今まで自分は律法は絶対で遵守すれば救いを得られると精進してきた。だが結果は得られなかった。彼はキリスト者撲滅運動のリーダーとしてダマスコに行く途中で復活の主に出会い、回心したのです。聖霊の導きによって、自らの罪を明らかにされ、十字架の贖いを知り、そこに唯一の救いがあることを見出すことができたのです。主イエスに出会い、主に従う者とされたのです。主の名を呼ぶものは救われる(10章13節)のです。19,20節も重く響くみ言葉です。律法とはここでは旧約聖書と言い換えていいと思います。旧約の意味はメシア、キリスト到来の約束です。人は律法では救われません。ただ罪の自覚が生じるのみです。救いは主イエスから来るのです。
(2019年7月21日礼拝説教より)