「常に喜べ」
更新日:2019.4.1
フィリピの信徒への手紙4章4-7節 (新約366頁)
米倉 美佐男牧師
主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」(4節)。
「常に喜びなさい」とパウロは言います。この書簡が喜びの手紙と呼ばれるのは随所に喜び、喜べが繰り返し述べれているからです。既に2章17,18節、3章の頭でも語られています。いずれも「エン・キュリオー」(主において)と言われています。パウロが言う喜びとは主にある喜び、キリストを喜ぶことです。それを知ることが信仰生活の一番大切な事だとパウロは教えているのです。
使徒言行録の16章にパウロが獄中生活にあった時夜中でも大声で讃美の歌を歌って、祈り、大地震で牢屋の扉が開いても逃げず、それがきっかけで看守とその家族がクリスチャンになったという記事があります。パウロは信仰の喜びの人でした。彼の言う喜びはやはり特別の意味があるのです。信じる喜び、神を喜ぶ、キリストを喜ぶ、それが主にあって喜ぶということなのです。だから喜べないようなな状況であったとしても主を信じていれば喜べるとパウロは言うのです。
主を信じているのに喜べないとしたらそれは本当に主を信じていないからだとパウロは言うのです。表現を変えて言うと喜びは感謝です。また讃美です。詩編98編にあるように、主に向かって喜ばしき声を上げるのです。主を礼拝するのです。それが信仰者の喜びです。「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。」(5節)、広い心とはキリストを信じる事、十字架の主の事です。主が近くにおられる、キリストが共にいて下さることが何にも代えがたい喜びです。主が共におられるが故にあらゆる煩いから解放されるのです。主に委ねるのです。諦めからでなく積極的に委ねるのです。その時キリストの慰めと平安が与えられるのです。
(2019年3月24日礼拝説教より)