札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「共に喜ぶ」

更新日:2019.2.4

フィリピの信徒への手紙 2章12-18節(新約363頁)

米倉 美佐男牧師

「わたしと一緒に喜びなさい。」(18節)。

フィリピの信徒への手紙は喜びの手紙と言われます。今朝の短い箇所にも終わりに集中して喜びが4回語られています。因みに聖書そのものが喜びの書であるのです。著者のパウロはここで何を言おうとしているのでしょうか、何をフィリピの教会の人たちに伝えたかったのでしょう。従順でいなさいと勧め、次に自分の救いを達成するように努めなさい。何事も不平や理屈を言わずに行いなさい。最後にわたしと一緒に喜びなさいと結んでいます。

教会生活は神と神の恵みに従順であり、信仰生活の目的は自分の救いの全うです。そこには罪の誘惑に対する信仰の戦いがあるのです。自分の熱心さではできません、神の熱心によって、私たちは最後まで信じぬくのです。我々は無力です。それゆえ神により頼むのです。不平を言わず、つぶやかず、み言葉のみを信じて生きるのです。

信仰生活は喜びに満ちた生活です。救いがあるのですから、当然そこには喜びがあるはずです。ところが現実にはそうでないということがあるのです。原因があります。喜びの質は人それぞれに違うからです。求めるものが違えば自ずから結果も違います。他人の喜びが自分の喜びにならないこともあります。逆もまた真です。しかし、パウロが語る喜びは、信仰の喜びです。全く違うのです。それを知るためには何を求めるかが重要です。「礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。」(17節)。血が注がれる、彼は獄中で殉教を意識していたのかもしれません。本来それは喜びではありません。喜びの対象外です。パウロが言う喜びとは神の子とされた喜びです。それをどんな時にも見失なうなと言うのです。キリストのために生かされるそれ以上の喜びはないのだから。

(2019年1月27日主日礼拝説教より)

前のページに戻る