「アッバ、父よ」
更新日:2019.1.7
ガラテヤの信徒への手紙4章1-7節 (新約347頁)
米倉 美佐男牧師
「あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。」(7節)。
2018年の最後の主日礼拝です。新年はキリスト教では特別な意味はなく、主イエスが生まれて8日目にイエスと命名された日と覚えられています。6日はエピファニ―(公現日)です。東方教会はこの日をクリスマスとして覚えています。
「時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。」(4節)。
パウロの手紙の中にもクリスマスを意識させる記事があります。今朝の記事がそうです。クリスマスは神の時が満ちた時、御子イエスは父なる神によって、マリアを通して真の人の子として、律法に支配されたユダヤ人のおひざ元に生まれ遣わされました。人々は律法や諸霊の支配下にありました。正しい神を知らぬ罪の奴隷状態にあったのです。
そこに生きる者は未成年状態であり、後見人や、管理人が必要でした。そこに御子が与えられたのです。御子を拒まないで受けれた者は律法、諸霊から解放されたのです。「それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。」(5節)。私たちは神の子とされました。そのしるしとして、「アッバ、父よ」と主イエスが呼んだ神を私たちも、主と同じように、アッバと呼ぶことが許されたのです。アッバ(お父ちゃん)と幼子のように神を呼んで神の子とされる、主イエスを信じることによってふさわしくない者が神の養子とされ、神の子とされたのです。聖霊が私たちの心に送られ、私たちは神の相続人とされました。罪の奴隷状態になっていた者に罪からの解放が与えられたのです。
(2018年12月30日主日礼拝説教より)