札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「わたしを通って」

更新日:2018.12.19

詩編 34編8節(旧約865頁)
ヨハネによる福音書14章1-6節 (新約196頁)

牧師 米倉 美佐男

アドベント(待降節)第2週に入り、2本目のローソクに火が灯りました。「心を騒がせるな。神を信じなさい。」(ヨハネ14章1節)と主は言われます。自らに託された十字架の務めを全うするに当たり弟子たちに語られた遺言です。心が騒ぐという意味はここでは心が動揺する、心配するというより超自然的悪の力と対決する緊張感、不安を表しています。心を騒がせないために神を信じ、私を信じなさいと言われます。そこに安心できるあなたがたの居場所があると。

主が場所の用意を整えることができたら、戻ってきてあなたがたを迎えるから私と一緒にいなさい。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っていると言われた時、弟子のトマスは「主よ、どこへ行かれるのか。わたしたちにはわかりません。」と言います。それに対し主は、「わたしは、道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」とお答えになられました。主はトマスに言われます。道はわたしだ、あなたに真理を与えるのも、命を与えるのもわたしなのだと。真の救いを得ようとするならわたしいう道を通ればおのずとゴールへとたどり着くと。

 続けてフィリポが父とは誰ですかと聞きます。わたしに御父をお示しください。弟子たちはどこまでも人間的な弱さを露呈しています。イエスは言われます。こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。だからわたしだけを見てわたしと共に歩みなさい。そしてわたしの名によって願いなさい。そうすればわたしが必要なものをかなえてあげるから。イエス・キリストだけを信じることが救いであるというのがわたしたちの信仰です。真の救いが主にあり、主こそ道であり、真理であり、命です。主を信じるならば救いというゴールへ到達できるのです。主イエスを通って。

(2018年12月9日礼拝説教より)

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