札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「バラバかメシアか」

更新日:2018.9.19

マタイによる福音書27章11-26節(新約P56)

米倉 美佐男牧師

「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」(17節)。

主イエスはピラト(26-36AD第5代ローマ総督)の前に立たされ、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問されます。主イエスは「それは、あなたが言っていることです。」と答えられました。祭司長、長老たちからも訴えられましたが、それに対して何もお答えになりませんでした。それを
見てピラトは「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言いました。それでもイエスはどんな訴えにもお答えになりませんでした。

ピラトは不思議に思いました。彼は複雑な思いでいました。イエスに罪を見出だせなかったから。ピラトはイエスを義人と思っていたから。そこで一計を講じ、祭りの度ごとに総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた事を適用し、極悪人バラバか罪のないメシア(キリスト)・イエスを釈放するかと問うたのです。民衆の答えはバラバを許せ、そして主イエスを「十字架につけよ」でした。

バラバは十字架刑は当然の囚人、ピラトはイエスに何の罪も見出せず、イエスが訴えられたのは明らかにユダヤ人たちのねたみのためであることも知り、何とかイエスを助けたいと願っていました。さらに彼の妻(プロクラ)はイエスの公正を知り、夫ピラトにイエスに関わらないようにと願いました。しかし、ピラトは結局バラバを釈放し、メシアイエスを刑に処したのでした。ピラトは我が身可愛さで正義を貫くことをしませんでした。しかし、聖書が示すのは人間の様々な思惑の中で、神の人を救うための神の業が着実に一歩一歩進んでいるという事実です。神のみ旨が
どこにあるのかを示します。本当の人の罪を救う唯一の大きな神の力が働いているという事実を。その大いなる神の恵みの業を受け入れ、心から感謝をするのです。

(2018年9月9日礼拝説教より)

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