札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「葬りの備え」

更新日:2018.6.25

マタイによる福音書26章1-13節(新約P51)

牧師 米倉 美佐男

「この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。」(12節)。

イエスはこれらの言葉をすべて語り終えると、弟子たちに言われました。「あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために引き渡される。」(2節)。過越祭は出エジプトの故事によってユダヤ人たちが大切にしてきた大事な祭りです。その祭りの間に十字架にかけられると主は言われます。その時、祭司長たちや民の長老たちは、大祭司カイアファの屋敷に集まり、イエスを捕え、殺すための策略をしていました。

そのような状況の中で、次の出来事がありました。イエスがベタニアで香油を注がれるという出来事です。らい病人シモンの家におられたとき、一人の女が、高価な香油を食事の席についておられたイエスの頭に注ぎかけました。この女性の行為はイエスを歓迎するための精いっぱいのもてなしでした。ところが弟子たちはそれを見て憤慨したのです。そして、「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」(8-9節)と。

それを知ったイエスは弟子たちに言います。「なぜ、この人を困らせるのか、わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はわたしの体に香
油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。」(10-12節)。
弟子たちは無駄遣いだともっともらしいことを言いますが主イエスは葬りの備えをしてくれた最高の行為だと言われます。主は最大限の評価をもって女性の行為を受け止められました。惜しみなく主に献げる時、主は喜んでお受けくださるのです。葬りの備えは十字架に向かっての歩みの中で起こりました。純粋に献げられる時に、その献げものは最も意味ある形で主が受け止めてくださるのです。

(2018年6月17日主日礼拝説教より)

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