「終末の徴」
更新日:2018.5.1
マタイによる福音書24章3-14節(新約P47)
牧師 米倉 美佐男
「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(24章13節)
神殿の崩壊を予告された主は、オリーブ山で座っておられました。そこに弟子たちが来て、ひそかに「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」(3節)と主に問います。弟子たちが聞いたのは先に語られた主のお言葉に強い不安を感じたからです。それに対し、主イエスは、「人に惑わされないように気をつけなさい。」(4節)と言われます。
さらに、飢饉や地震があっても、戦争の騒ぎがあっても、わたしを信じるがゆえにあらゆる民から憎まれても、多くのひとがつまずいても、互いに裏切り、互いに憎しみ合うことが起こっても、偽預言者がはびこり、多くの人を惑わし、不法がはびこり、多くの人の愛が冷えても慌てないようにと言われました。どのような不安材料があってもそれらが起こっても、まだ世の終わりでないのだからと。
「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そして御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」(13-14節)。
終末がいつくるかは人が決めることではなく神のみ手の業です。それだから、慌てふためかず、時の徴を見極めなくてはなりません。戦争などの社会秩序の混乱、飢饉や地震等の自然秩序の混乱に惑わされずに、どう備えて行くかが求められているのです。「それから、終わりが来る。」、終わりはエンドではなく、完成です。神の国は突然に来るのです、信仰者はそれがいつ来てもいいように常に備えをするのです。み国は神から来ます。「その日、その時はだれも知らない。」(36節)のです。ですからわたしたちができること、すべきことは、「み名をあがめさせたまえ、み国を来たらせたまえ」と祈ることです。
(2018年4月22日主日礼拝説教より)