札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「生きている者の神」

更新日:2018.3.19

マタイによる福音書22章33節(新約P43)

牧師 米倉 美佐男

「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」(32節)

レントの第4週です。主イエスを罠にかけようとしたファリサイ派たちの試みは失敗し、今度はサドカイ派の人々の挑戦です。彼らは律法を持ち出して質問します。ある人が子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の
跡継ぎをもうけねばならないとあるが、七人の兄弟がいて妻を迎えた長男が死んだ場合次々にその妻をめとったが皆死んでしまい、最後にその女も死にました。すると復活の時、その女は七人のうちのだれの妻になるのかと。

その時のイエスのお答えは、「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。」でした。復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになると言われ、続けて言われます。「死者の復活については、神があなたたちに言われた言葉を読んだことがないのか。「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」。

サドカイ派は政治的指導者で、現実主義です。彼らは復活信仰を持ちません。ファリサイ派とは全く正反対の立場です。ただ律法だけは絶対的根拠にしていました。その律法で主に挑みます。申命記25章5-10節、ここは本来、子が
なくて死んだ兄弟の名を継がせ、その名をイスラエルから絶やさないために設けられたものです。地上の地位、財産を重視する現実的合理主義の理屈から復活は余りにも非現実的と受け止めたのです。ユダヤ人の習慣の結婚法のレピラ
ート婚を用いたのですがその目論見は、あっさりとイエスによって退けられました。「あなたたちは聖書も神の力も知らない」。知るべきは今も生きて働く主の救いの確かさなのです。求めるべきは神のみ旨です。

(2018年3月11日主日礼拝説教より)

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